【TWICE】生い立ち、家族構成や幼少期(子どもの頃)【まとめ】

韓国のガールズグループTWICEのメンバー、ナヨン・ジョンヨン・モモ・サナ・ジヒョ・ミナ・ダヒョン・チェヨン・ツウィの生い立ち、家族構成や子どもの頃についてまとめました!

 

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ナヨンの生い立ち

家族構成はお父さん、お母さん、ナヨン、妹の4人家族。

幼い頃からアイドルになることが夢だったナヨン。とある子どもモデルオーディションに出場した際、JYPにスカウトされますが、母親の反対で断念。お母さんは勉強をしてほしかったそうです。

しかし夢をあきらめられなかったナヨンは、2010年家族に内緒でJYPのオーディションを受けて全体の2位という好成績で、みごとJYPの練習生として生活をスタートします。

様々な賞をもらったり、広告モデルを務めたり、先輩アーティストのMVに出演していたり。練習生期間は約5年。練習生の中でもひときわ目立っていて、次デビューするのはこの子だと噂されるほどだったとか。

そうして”6MIX”というグループでデビューすることが決まり、アルバム制作やショーケースも行われていましたが、直前に延期。原因は乗員・乗客約300人が亡くなった”セウォル号沈没事故”があったためと、その後にメンバー2名の脱退があったためです。こうしてデビューは白紙となってしまいました。

しかし、JYPエンターテインメントは”6MIX”に変わるガールズグループを結成するべく『SIXTEEN』というサバイバルオーディション番組を行うことになりました。

様々なミッションをナヨンは常に5位以上をキープし、現場投票1位、ファン投票2位という好成績で見事”TWICE”としてデビューを果たしました!

 

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ジョンヨンの生い立ち

家族構成は、お父さん、お母さん、お姉さん2人と、そしてジョンヨンの5人家族。

幼い頃は、お父さんとお母さんは働いていたので、おばあちゃんと中学2年生ごろまで一緒に暮らしていたそうです。

お父さんは料理人でテレビ番組にも取り上げられるほどの有名な方です。一番上のお姉さまはSMエンターテイメントの元練習生で女優のコン・スンヨン。デビューするまではお姉さまと一緒に暮らしていたそうです。また、おじいさんが韓国で有名なラッパーだそうで、有名人が多い家系ですよね!

ジョンヨンは「幼い頃とても太っていたから、母がダイエットのためにフィットネスクラブのエアロビクスに通うように言われ習い始めた。歌とダンスをそこで知り、興味をもちはじめた」と語っています。

そこからJYPエンターテイメントオーディションを受けましたが落選。

その後も夢をあきらめることなく、2010年に開催されたJYP公開採用6期オーディションでアイビースター賞を獲得!念願のJYPに入社することとなりました。

同時期にSMエンターテイメントからも合格通知が届いていたそうですが、「JYPしか考えていない」と迷うことはなかったそうです。

入社4年後、6人組のガールズグループ”6MIX”のメンバーとしてデビューが決まっていたジョンヨン。しかし、”セウォル号沈没事故”やメンバー2名の退社が重なり白紙となってしまいました。

ジョンヨンはパン屋さんでアルバイトをしていたそうで「思ったよりパン屋さんでの仕事があっていて、本当にパン屋さんで仕事しようかと思っていた」と話すほど、歌手の夢を諦めかけていたそうです。

そこに、サバイバルオーディション番組”SIXTEEN”のお話が来て、出演。完璧なスタイル、クールでカリスマ性のあるジョンヨンは見事、TWICEのメンバーとしてデビューいたしました!!

 

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モモの生い立ち

家族構成は、お父さん、お母さん、お姉さん(平井はなさん)とモモの4人家族。お父さんは京都で整骨院の鍼灸師として自営業をされています。

モモは、3歳の頃から大阪に本社を置く”STEP OUTダンススタジオ”に通って、ダンスを踊っていたそうです。 幼い頃から大会やコンテストに出場するほど実力が高かったそうですよ。

2011年には、”スーパースターK3日本予選”の4人組ガールズグループのメンバーとして参加しますが、そこでは残念ながら脱落しています。

その後、モモのお姉さんとダンス動画をYouTubeにアップ(現在は消されているようです)、それを見つけたJYPエンターテイメントの関係者から「オーディションを受けてみないか」と連絡がきました。お姉さんとオーディションを受けましたが、モモだけが合格し、サナと一緒に韓国へ。こうしてJYP練習生としての生活をスタートしました。※現在お姉さんはダンサー兼インストラクターをして活動されています。

当時からダンスは練習生の中でトップクラス。JYP練習生が学ぶ基本のダンス40を最短記録の3カ月でマスターしています。

JYPは日本人ガールズグループプロジェクトを計画されていたようですが、様々な事情によりプロジェクトがなくなり、サナとミナと共にTWICEを決めるオーディション番組”SIXTEEN”に出演。

”SIXTEEN”では、一度脱落してしまいますが、最終的には追加メンバーとしてTWICEでのデビューが決まりました。 まだ見ていない方は、絶対見たほうがいいです!何回みても心が痛くなるのですが、最後には本当に感動します!

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サナの生い立ち

湊崎家の一人娘として生まれたサナ。お父さんとお母さん、おばあちゃんと一緒に暮らしていました。

サナのおばあちゃんは音楽が大好きで、サナも影響を受けて育ちました。あるときカラオケ番組を一緒に観ていた際「サナがここにいたらなあ」と、おばあちゃんがつぶやいたそうです。サナは、その一言で歌手を目指します。

小学6年生でEXILEダンスアカデミー”EX6P大阪校”に通い始めます。約3年間レッスンを受けています。

2012年、大阪ミナミのなんばウォークで友達とショッピングをしていたら、JYPエンターテイメントからスカウトされ、その翌日グローバルオーディションに参加。そうして見事合格!JYPの練習生となったのです!

しかし、当時15歳のサナちゃん。学業を中断し、日本から離れることを両親も不安に思っていました。そこで、お母さんはサナを2PMのコンサートに連れて行き、それを観てサナは何を感じるか、どうしたいか問いかけたそうです。

『私もこの舞台に立ちたい』

サナのこの言葉を聞いて、両親は韓国に送り出すことを決めたそうです。

その後、サナはモモと一緒に韓国に渡り、新生活をスタートしました!

 

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ジヒョの生い立ち

ジヒョはお父さん、お母さん、そして妹2人の5人家族の長女。

幼い頃から外国人のような外見をしていたらしく、明洞に行くとよく外国語で話しかけられたんだとか。

そこから、周りの人が両親に「芸能人にさせてみよう」と言い、両親はオーディションを申しこんだそうです。

2004年8月19日、 そのオーディション”第一回ジュニアネイバー子役スター選抜大会”で見事2位をとり、それをきっかけにJYPエンターテインメントにキャスティングされました。

JYPエンターテインメントに2005年7月15日に入社しています。

でも、当時わずか8歳のジヒョ。そこから10年以上に渡る練習生生活に耐えます。後輩がどんどん追い越してデビューする中、ただ淡々と自分のデビューが決まるまで、必死に努力し続けたそうです。

2014年に”6MIX”というJYPの次期ガールズグループのメンバーとして、ようやくデビューすることが決まっていました。しかし、2014年に韓国で起きた”セウォル号沈没事故”が起きて白紙になってしまいました。

2015年、再び舞い降りたTWICEを決めるオーディション番組”SIXTEEN”にて、見事メンバーとして選ばれ、10月にデビューを果たしました!

 

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ミナの生い立ち

ミナは、米国テキサス州サントニオで生まれました。しかし、生後すぐ日本に来たので、ミナは自分の故郷を「日本の兵庫県神戸市」と言っています。

家族構成はお父さん、お母さん、お兄さんの4人家族です。お父さんは大阪大学医学部付属病院の教授で有名なお医者さん。ミナがアメリカで生まれたのはお父さんのお仕事の都合だったと言われています。

出身校は、カトリック系の名門お嬢様校である”小林聖心女子学院”。専攻はバレエ。歴は11年です。実は、お嬢様なんです。

中学生のときに、当時人気だった韓国のガールズグループ”少女時代”のMVをみながら踊っている友達を見て、ミナもK-POPに興味をもつようになり、”BIGBANG”、”CNBLUE”など韓国のアーティストたちのコンサートを観に行ったりして、どんどんK-POPにはまっていったそうです。

その後、日本にあるK-POPダンススクール”URIZIP”に登録してダンスを専門的に学ぶようになりました。

そうして高校2年生のミナとお母さんが阪急梅田のデパート地下で買い物をしている際に、JYP関係者にキャスティングされ、グローバルオーディションを受けることになります。

オーディションは見事合格。しかし、そのときのことをミナはこう語っています。

「はじめ、両親は私が韓国に行くことに反対していました。でも「韓国に行きたい!練習生になりたい!」と説得して韓国に来れたんです。だから両親の気持ちを考えると最後までいかなければいけないと思いました」

こうしてお許しがでた後、学校を退学し、2014年1月2日にJYPエンターテイメントに入社、練習生生活をスタートしました。

ミナは、JYP練習生生活の辛かったところとして、「最初の日に授業を受けたが、韓国語がわからなかった。先生が怒っていたけれど、なぜ怒っているのかさえわからなかった」と語っています。

 

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ダヒョンの生い立ち

家族構成はお父さん、お母さん、お兄さんとダヒョンの4人家族。

ダヒョンは小学生の頃、教会に通っていました。そこは、ダンスや讃美歌でお祈りする教会だったため、その讃美歌に合わせて”鷲ダンス”を踊っていたところが動画で注目され「教会で鷲ダンスをする少女」と知られていたそうです。

その後の中学生2年生のダヒョンは、自分で考えた音楽と振り付けで”青少年ダンス大会”に出場。ちょうどそこにいたJYPキャスティング担当者にスカウトされ、2012年7月7日にJYP練習生となりました。

練習生時代には、GOT7(JYPの先輩男性グループ)のMVにヒロイン役で出演したことがありますよ☆練習生期間は3年と4カ月です。

その後”SIXTEEN”(TWICEを決めるサバイバルオーディション番組)にて、「鷲ダンス」をはじめ「おならラップ」「バセバセダンス」を披露し、個性的でおもしろいパフォーマンスだと評価され、見事TWICEのメンバーとしてデビューを果たしました!

 

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チェヨンの生い立ち

家族構成は、お父さん、お母さん、チェヨンと弟の4人家族。

チェヨンと弟さんは、とても仲の良い兄弟なんです!弟が頻繁にSNSに登場しており、ファンから「かっこいい!」との声があがっていたりして人気を集めています!現在モデルとして活動しているのだとか。

チェヨンは、小学6年生からダンス教室でダンスを始め、中学生のときにJYPエンターテイメントのオーディションのオファーを受け見事合格。

そこから練習生として約3年過ごし、TWICEのサバイバルオーディション番組”SIXTEEN”に出演しデビュー!

ラップ未経験で事務所に入ったのですが、練習生の課題で取り組んだときに自分に合っていると感じ、特に力を入れるようになったのだとか。SIXTEENのときからその実力が高く評価され、当時から目立っていました。

 

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ツウィの生い立ち

家族構成はお父さん、お母さん、お兄さんとツウィの4人家族。

台湾の観光名所のナイトマーケット等の事業で成功するほか、不動産や美容施設などへの投資もしていて、そんなとても裕福なご両親のもとに生まれました。お母さまはカフェも開店しております☆彡

忙しいご両親に代わって、ベビーシッターの世話を受け成長したそうです。

幼い頃からダンスが大好きで、ダンスレッスンに通っていたほどでした。

デビューのきっかけは、YouTubeに挙げられた1本の動画。この動画を偶然JYPスカウトマンが目にします。「美しい!」と直感したスカウトマン、さすがですね!

台湾までツウィに会いに来たスカウトマンですが、実際のツウィは想像以上の美人さん。すぐに本社に報告し、OKサインがでると練習生契約を結ぶこととなりました。

2年間の練習生期間を経てSIXTEEN(オーディション番組)に出演します。韓国語もまともに話せず、他のメンバーと比べると経験も浅かったのですが、美しく、抜群のスタイルと頑張り屋さんのツウィは視聴者人気投票で1位を獲得する人気っぷりでした!

惜しくもデビューの最終メンバー7名には選ばれず・・・と思いきや、視聴者からの絶大な人気があったためか、追加合格というかたちでTWICEとしてデビューを果たしました!

 

 

この記事をかいたひと

ニートというか自宅警備員というかひきこもりのほぼ専業主婦。TWICEナヨンちゃんをこよなく愛し、モンハンとポケモンでよく遊ぶ。ぺんぎんのすきなことを発信していきます!

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